紅王子と侍女姫  104

 

 

「ディアナ嬢の記憶はアラントル領内で留まっています。殿下に会ったことも、王城に来た理由も記憶にない。カリーナの説明を、本当に心から納得しているはずなどないでしょう。何が何だかわからないが、取り敢えず世話になったようだからお礼を言い、王城に来る原因となった魔法が解けているのだから、即座に帰れるだろうと思っているはずです。他に何を考えることがありましょうか」

「・・・・・・」

 

言われてみれば、その通りだ。もし自分が同じ立場になったとして、心から納得するなど出来ない。

目が覚めると見知らぬ場所と見知らぬ人がいて、毒を飲んで記憶が飛んでいるなど言われて、そうかと直ぐに納得など出来るはずもない。

侍女として過ごしていたはずなのに、突然王城にいる事実に戸惑うのは当たり前で、よく恐慌状態に陥らなかったと褒めたいくらいだ。侍女として長く過ごしてきたディアナは、本当は侯爵令嬢という立場を失念しており、以前は親を含めた貴族に常に一歩退いた態度を崩さなかった。だからこそ王宮にいる人物からの説明を鵜呑みにしたのだろう。その上、目の前で皿が浮くのを見せられたのだ。魔法の存在は納得せざるを得ない。

 

「彼女は物事を穿って見ることがないようですねぇ。逆を言えば侍女仕事の他に興味が薄いのか、他者からの説明をそのまま飲み込んでしまう術を持っているというか。納得した方が早いと、そういうものかと対処する能力に長けているというか」 

「身も蓋もない言い方をするな。目の前の現実を柔軟に受け止めると言え」 

「・・・御意。まあ、そういう訳です。殿下に判断頂きたいのは、その現実を納得されたディアナ嬢が、アラントル領に帰ると申していることで御座います」 

「だから俺と結婚の約束をしたと、言いに行けばいいんだろう? アラントルには俺と一緒に行って、領主に結婚の承諾をもらいに行く予定だと。・・・それでは駄目なのか? 他に何か問題があるのか?」

 

目を閉じたローヴが、右へ左へ首をゆっくりと傾け、困りましたと口を開く。  

「魔法をかけられ、それを解くために王城に来た。その後いろいろあって毒を飲まされ、解毒剤を飲み、記憶を失った。それは自分が今いる場所と季節の移ろいで納得せざるを得ない。とにかく命が助かった。有りがたい、感謝している」 

「・・・・・」 

「長らく御面倒を掛け、そして大変お世話になりました。皆様には感謝申し上げます。では失礼させて頂きます。――――――ディアナ嬢はそう言って、暇を告げて来ました」 

「・・・俺と婚姻の約束をしていると、そう言えば納得して」 

「する訳がないでしょう」 

呆れたように言い放たれ、ギルバードは目を瞠る。 

「何故だ? 嘘偽りない現実だ。それを告げて、どうして納得してもらえないと言うんだ!」 

「ディアナ嬢が覚えておられるのは、魔法を解く、その前の状態だと言いましたでしょう。今のディアナ嬢は侍女として過ごしていた、その時のままですよ。殿下と恋仲になったなど信じる訳がないでしょう」 

「直ぐに何でも信じてくれるんじゃないのか? さっき、そう言っただろう!」

 

立ち上がろうとすると、また同じ場所を杖で突かれ、痛みに顔が歪む。ディアナに嘘を言うつもりはないと呻きながら訴えると、ローヴは大仰な動作で額を覆った。そのまま緩慢な動作で深く息を吐き、吐き終えるとギルバードを見据える。  

「殿下・・・、ディアナ嬢と御心を通わせるのに、どれだけ大変だったか、もうお忘れですか? 魔法が解けてもディアナ嬢の性格が変わる訳もなく、殿下に翻弄されて戸惑っていた姿をお忘れですか?」

 

その問いに、ギルバードの視線が頼りなく揺れた。ローヴの顔から肩へ落ち、床を滑り膝上の拳に移る。

魔法を解くために過去を思い出し、現れた痣の扉を重ねて、ようやく繋がっていた魔法を解くことが出来た。魔法が無事に解けたと笑みを見せ、これでアラントルに帰れますと言うディアナを帰したくないと思い、そこで自覚した。ディアナと出会えたことに胸を躍らせ、傍にいて欲しいと希う気持ち。ディアナの傍にいたい、守りたい、慈しみたい、愛しい・・・触れたい。不器用ながら必死に言葉を重ね、時間を掛けて彼女の気持ちを捉えることが出来た。

だけど今のディアナは、王宮で過ごした記憶を失い、侍女として過ごした記憶しかない。

ギルバードのことなど何も知らないのだ・・・・。

 

「・・・今、俺とのことを伝えるのは、ディアナに余計な負担を与えかねないと?」 

 

事実を事実として伝えることが、ディアナを翻弄するというのか。 

そんな、と呟きながら、ディアナの頑ななまでな低姿勢が思い出されてギルバードは口を噤んだ。

目の前で見せられた魔法を信じることは出来ても、自国の王子と婚約間近だと伝えられて、納得出来るはずないだろう。ギルバードを含めたみんなが説明しても、納得しないと想像出来る。繰り返し説明したとしても、ディアナは困ったように首を横に振るだろう。

容易に浮かぶ映像に、ギルバードは眩暈を覚えた。 

「俺がすべき判断は・・・ディアナの今後か・・・」 

ギルバードと会ったことを覚えていないディアナが望むのは、アラントルに戻ることだ。記憶にない理由で王城に滞在しているようだが、用事が終わったのなら帰りたい。

 

「侍女として過ごされていた記憶のままですから、殿下がいくら想いを伝えても、彼女が受け入れることはないでしょうねぇ。・・・ザシャたちが解毒剤を見直しておりますが、これ以上は何度作り直しても無理があると思います」 

ローヴから発せられる言葉の内容と口調から、何を言いたいのか理解出来た。 

ギルバードの脳裏にもそれは過った。もう一度解毒剤を作り直してはどうかと。だが、一度消えた記憶を取り戻るための薬を作る訳ではないのだ。人の生死に係わることを禁じている魔法導師。それは記憶に関しても同じだと、聞かずとも知っている。

 「・・・ディアナに・・・会いに行ってもいいか?」 

いまのディアナは、自分を見ても頬を染めることはない。

喜びに笑みを浮かべることも、伸ばした手に指を絡めることもない。王子が現れれば慌てて低頭し、訳も分からず謝罪するかも知れない。目を合わすこともなく、触れ合うこともせず、そして生まれ故郷に戻りたいと懇願する。

記憶がないのだ、仕方がない。 

だが理解してなお、心の奥底では足掻く自分がいる。 

自分を見て、失われた記憶が蘇る可能性もあるかも知れないと。

あの碧の瞳を大きく見開き、花開くように笑みを零すのではないかと――――。 

その可能性は限りなく少ないだろう。だからこそローヴがこの場を設けたのだ。 

「ディアナの許へ案内してくれ」 

それでも・・・僅かな希望があるのではないかと、ギルバードは立ち上がった。

 

 

 

数日前、解毒剤を飲ませた部屋に向かう。 

仄かに燻っていた希望も、部屋前に着く頃には焦燥に変わり、今の自分はディアナの目に化け物として映らないだろうかと心配になった。ローヴが幻覚はすっかり抜けていると頷くが、扉を叩くことが出来ずに躊躇している自分がいる。ギルバードは深呼吸を繰り返し、意を決して叩いた。 

「はい、どうぞ」 

ディアナの柔らかな声が聞こえ、ギルバードの胸が大きく跳ねる。扉を開き、部屋に入るも声が出ない。付き添っているはずのカリーナの姿はなく、一気に動悸が激しくなる。衝立が見え、その奥にディアナがいると思うだけで手に汗が滲み出した。 

「あ・・・、具合はどう、だろうか。そちらに行っても、いい、だろうか」 

「・・・え? ど、どなた様で御座いましょうか・・・」 

戸惑いに揺れる声がして、ギルバードは息を呑む。声では思い出してもらえない現実を知り、項垂れそうになり、それでもどうにか息を吸って穏やかな声を出した。

 

「・・・私はギルバード・グレイ・エルドイドという者です。この国の王子です。突然で申し訳ありませんが、ディアナ嬢の見舞いに来ました。そちらに伺っても・・・宜しいでしょうか」 

衝立の向こうから慌てた様子が窺え、動悸がいっそう速まった。またも先触れなしに部屋を訪ねた自分を振り返り、どうして反省しないのかと唇を噛む。もしかしたら夜着姿でいるのかも知れない。学習しろと叱咤する自分と、頬が熱くなるのを自覚する自分が頭の中で駆け回り、思わず頭を抱え込んだ。

 

「ギルバード・・・王太子殿下様、で御座いますか」 

少し掠れ聞こえるディアナの声に、ギルバードは抱え込んでいた手を離して背を正す。衝立から姿を見せたディアナはデイドレス姿で現れた。少し蒼褪めた顔を俯け、視線はギルバードの足元にとどまり、一歩進んだところで足を止め、腰を落として御辞儀をする。 

「お、お世話になっております。わ、私はディアナ・リグニスと申します。アラントル領主、ジョージ・リグニスが娘で御座います。ど、どうぞ・・・お見知りおきを」 

低頭するディアナの髪を見て、ギルバードは安堵の息を吐く。

カリーナが術をかけたのだろう。ディアナの髪は元の長さになっているようで、緩くまとめ上げられていた。声も出さずに注視していると、さすがにディアナも気付いたようだ。視線を下げたままだが、髪に手をやり、「いろいろあったと聞きました」と小声を落とす。 

「ああ、元の長さに戻っていて安心した。・・・ディアナ、嬢は覚えてはいないだろうが王宮に来てから大変な目に遭わせてしまった事実がある。まずは深く謝罪したい」 

「そっ、そのようなことは!」

ギルバードが頭を下げると同時に悲鳴のような声が上がり、ディアナのドレスが大きく揺れ動いた。

王子からの謝罪に蒼白となり、唇を戦慄かせているのだろう。顔を上げるとやはり思った通りの光景があり、深く低頭したディアナの震える背を前に、ギルバードは遣る瀬無くなった。やがてディアナの頭が持ち上がるが視線は床に落ちたまま、僅かに唇が開き、そしてきゅっと結ばれる。どうしていいのか分からないと言いたげな様子に、ギルバードは拳を握った。 

 

「・・・ディアナ嬢。その後、体調はどうだろうか」 

衝立から半歩身を乗り出した状態で立ち竦むディアナをテーブルに誘い、ともに椅子に座る。ディアナの視線はテーブル上を彷徨った後、そろりと持ち上がった。 

「体調は問題御座いません。な、長くお世話頂き、感謝申し上げます。カリーナさんから、魔法・・・を解くために王城に滞在していたと伺いました。無事に解くことが出来たとも聞きました。記憶がないとも教えられましたが、他に問題はないようです・・・」 

「そう、か」 

「目が覚めて見知らぬ場所だったため、カリーナさんには大変ご迷惑をお掛けしましたが、もうすっかり元気になりまして・・・。着替えや食事など、お世話になり続けております・・・」 

「それらに関しては迷惑と思わないで欲しい。それだけのことをディアナ嬢にしてしまった。他に問題はないだろうか。何かして欲しいこととか、何か足りない物とか。どんな些細なことでも構わないから遠慮なく言って欲しい」 

「問題、は・・・」

彷徨うディアナの視線がテーブル上からギルバードの胸へと移動し、長い睫毛が少し痩せた頬に影を落とす。黙り込んでしまったディアナが話しやすいように、穏やかさを心掛けて促した。

 

「正直に言ってくれたら嬉しい。何かあるのか?」 

「・・・あの、私が王城に来たのは魔法を解くためだと伺いました。その魔法はもう解けていると聞きましたので、・・・アラントルに戻りたいと思います。大変長い間お世話になっていたようで、御迷惑を掛けたことと存じます。どうお礼申し上げてよいのか分かりませんが、領主と相談の上、改めて御礼に参上したいと思います。・・・ただカリーナさんが、帰るには殿下の承諾を得てからとおっしゃっておりまして、いま、宜しければ承諾を頂きたいのですが」 

 

ギルバードは胸を一突きされたかのような痛みに襲われ、声が出なくなる。

一気にしゃべり終えて息を吐くディアナの緊張がギルバードにも伝わり、何を話せばいいのか分からなくなった。記憶がないディアナを、魔法が解けた今、自分に繋ぎ止める手立てがない。 

「ディアナ、嬢は・・・アラントルに帰りたいと願うのか」 

「はい。・・・自領に戻りたいと、思います」 

今のディアナが言うだろうと想像していたことを、実際目の前で本人の口から告げられる。

その衝撃は予想以上に激しく、そして深かった。

震える肩、視線を合わさぬように俯く顔、戻りたいという言葉。ギルバードのことは覚えていないと、記憶の片隅にもないと、そう伝えてくる。 

ディアナが悪い訳じゃない。ギルバードのことも、きっと記憶のどこかに埋もれてはいるはずだ。時間の経過とともに僅かでも思い出す可能性がある。想いが通じ合ったことも、未来を共に歩もうと誓い合ったことも、きっとディアナの心のどこかに隠れていて、ある日突然思い出すかも知れない。

どんなに小さくても僅かでもいい。可能性は残っていると信じたい。そしてその時が来たら、目を見詰め合い、手を取り合って喜びたい。やっぱり思い出したかと、思い切り抱き締めてキスをしたい。 

 

だが、いま目の間にいるディアナの望みはアラントルに戻ること。 

故郷に戻り、穏やかな生活を送りたいということだ。

  

このままディアナの願いを叶え、二人の絆を断ち切っていいのかと、自身に問う。即座にそれは駄目だと断定する。目の前で所在無さげに俯いたままのディアナを見つめ、どうしてこの部屋にはソファがないんだろうと思った。ディアナの隣に腰掛けて白く細い手を握りたいのに、二人の間には硬く粗末なテーブルがあるだけだ。質素で素朴な部屋の誂えに、亡き母をほんの少しだけ恨みそうになった。

 

「ディアナ、嬢・・・が王城に来てから、ずい分経った。季節の移ろいで分かるだろうが、いろいろあったんだ。そのいろいろな出来事がある中で、俺はディアナ嬢を・・・す、す、好きになった」 

「・・・す?」

長い睫毛をぱちぱちと瞬き、ディアナが顔を上げる。きょとんとした、あどけない仕草にギルバードは笑みを浮かべ、大きく頷いた。言うべきではないと頭の端で騒ぐ自分もいるが、一気に押せと騒ぐ自分もいる。どちらが正解なのか解からないまま、ギルバードは勢いよく喋り出した。

 

「ディアナ嬢は繋がっていた魔法を解くためなら何でもすると、一生懸命だった。驚くほど真面目に、真摯に取り組んでくれた。その姿に俺は心奪われた。ディアナを、す、す、好きになったんだ!」 

「そ、・・・そんな」 

「本当だっ! 魔法を解いてから、ディアナは俺の気持ちを受け止めてくれた。す、直ぐにではないが、いろいろあって、本当にいろいろある内に、ディアナも俺のことを好きだと言ってくれた!」 

ぽかんとした表情のディアナを目にして、ギルバードの胸が痛みを発する。

言ってしまったと逡巡したのは僅かな時間で、もっと伝えたいと思う気持ちの方が強かった。想っているだけでは駄目だ。言わなければ伝わらない。伝わらなければ解かってもらえない。この気持ちを、想いを解かってもらいたいとギルバードは身を乗り出した。

 

「魔法が解けた祝いだと、ディアナは無理やり王が主催する舞踏会に参加することになったんだ。その時、ディアナは王と踊った。それを見て俺は嫉妬し、ディアナが好きだと自覚した。すぐに好きだと告げて、だけどディアナはアラントルに帰ると言った。俺の妃推挙に巻き込まれて攫われたこともあった。今回はその一環で毒を飲まされ、解毒剤を飲み、記憶を失ってしまったんだ・・・」 

困惑を呈するディアナが、じっとギルバードを見つめる。目を逸らさずに見つめられ、少し居心地の悪い思いをしながら、言葉を紡ぐ。 

「毒を飲み記憶を失う前、ディアナと俺はアラントルで落ち合う約束をした。ディアナの父上に、二人の結婚を承諾してもらうために」 

「けっ! 結婚・・・って、誰と」 

「俺とディアナのだ」 

「そっ、そんな、無理です! そ、そんな・・・嘘・・・」 

「嘘じゃない、嘘なんか言わない。・・・ディアナも最初は無理だと何度も言っていた。だけど俺が何度も口説く内に、ディアナも解かってくれたんだ。そして俺を好きだと言ってくれた。俺と一緒になってくれると、言ってくれた」 

目を瞠って首を振るディアナが椅子ごと下がろうとして、軋んだ音が部屋に響く。追い掛けるようにギルバードがさらに身を乗り出し、今度は押し出されたテーブルが擦れた音を響かせる。

「俺は言葉が足りない上に粗忽な性格で無作法だ。優雅に女性を口説くことなど出来ないし、したこともない。何度も好きだと強引な真似をして、何度もディアナを泣かせてしまった。だけど・・・ディアナは俺を許し、俺を好きだと言ってくれた。想いを返してくれた」

 

ディアナの蒼褪めた顔が左右に揺れる。記憶がない分、いまのディアナにとっては、どうやっても信じられない言葉だろう。だが諦める気はない。 

『自分の言葉に責任が持てるなら好きにするのもいい。自ら動かなければならぬ時もある』 

王に言われた台詞が思い出され、確かにその通りだと何度目かの納得をした。女性を口説くのは不得手だと自覚しているが、ここは踏ん張りどころだと自分に発破をかける。 

「いまは記憶を失い、戸惑うことばかりだろう。ディアナがアラントルに戻りたいと言うのも解かるつもりだ。もちろん、戻ることを止めはしない」 

困惑に震えていたディアナの唇から静かに息が漏れた。アラントルに戻れることに安堵したのだろう。それはギルバードを気落ちさせ、しかし強いていた緊張が解れたことにギルバードも安堵する。

自分の気持ちを伝え、二人が結婚の約束を交わしていたことまで伝えた。だけどディアナからそれらの記憶が失われた今、あとは願うしか出来ない。

 

「いま俺が言ったことを、心の隅にでも置いておいてくれたらいい。アラントルには領主への説明があるから、同行することを了承してもらいたい」 

「え? ・・・ギルバード殿下が、アラントルに、ですか?」 

「そうだ。ディアナを王城に連れて来たのは俺だから、アラントルに戻るなら責任もって最後まで付き添う。あ、最後といっても、俺はディアナを俺の嫁にすることを諦めるつもりはないからな」 

大きく開いた瞳に、笑みを返す。何があっても、どこへ行っても、ディアナを諦めない。諦めることなど無理だ。もうディアナ以外を欲しいと思えないし、望むのは彼女だけなのだから。

 

「・・・ギルバード殿下。お、お申し出は大変光栄ではありますが、自領に戻るのに殿下がご一緒されると、その、領主様が驚かれると思いますので」 

「ああ、心配ない。もう何度もジョージには会っている。・・・ディアナ、俺が一緒だと困るか? どうあっても王子の同行は厭だと、ディアナがそう言うなら諦めるしかないが・・・」 

卑怯だと思いながら、肩を落として掠れた声を出す。同じような物言いを、ディアナが長い眠りに就いていた時、夢の中に追い掛けてした覚えがある。 

その時と同じようにディアナが驚いたように顔を上げ、背をぴんと伸ばして首を振った。

 

「いえっ、厭など思いません」 

「そうか? では俺がディアナ嬢をアラントルまで送る栄誉を賜らせて貰おう。ディアナの体調が万全になった頃合いを見て、馬車を用意する。リグニス城主には俺から手紙を出しておくから安心して欲しい」 

「っ、・・・ぅ。・・・・は、い」

「今日一日はここで休み、明日はカリーナに、今までディアナが滞在していた部屋に案内してもらうといい。俺の休みが調整出来次第、アラントルに送っていくから」

「あ、ありがとう御座います・・・殿下」

「出立日が決まったら知らせに行く。それまでに荷物をまとめていたらいい。退屈ならカリーナと庭園を散策してもいいぞ。夕方は寒くなって来たから、必ず何か羽織って出るんだぞ? ああ・・・、上着を急いで用意させよう。最低限の荷物しかないものなぁ」

「だ、大丈夫です。寒くはありません」

「俺が用意する上着は・・・着てもらえないか?」

「あ・・・、いえ、あの、勿体ないお言葉で、その」

「遠慮するより頼ってもらいたい。着て・・・くれるだろうか?」

「た・・・大変光栄で御座います」

 

優しいディアナを困らせていると自覚しながら、ギルバードは立ち上がりディアナの手を取った。冷たい手の甲にキスするのは控えた方がいいだろうと、そっと撫でるだけに留めておく。重ねて手をじっと見つめる彼女の顔色は白いままで、また胸が少し傷んだ。

だが、少しでも機会を得たいという思いは譲れない。

ビクトリア王女はすでに幻覚剤を飲ませて魔法石に閉じ込め転がしているが、同じような思惑を持つ者がいないとは限らない。だからこそ俺が守るのだ。同じことが二度と起きないよう・・・いや、危険が近寄る隙を与えぬために俺が送り届けるのが一番安全だ。

そう誓いながら、出来るだけ小さい馬車を用意させようと考える自分がいる。

足の遅い馬でゆっくりとアラントルに向かい、その間にギルバード自身を知ってもらいたい。記憶がなくてもいい。好きだと言った。結婚を考えていると伝えた。これで多少は意識してもらえるはずだ。あとは会話だが、これが一番の難関だろう。レオンにスマートな口説き方を習うべきだろうか。不得手なことだが、ディアナのためならどんな努力でもしよう。

忙しくなったぞと、ギルバードはほくそ笑んだ。

 

 

 

 

 

→ 次へ

 

← 前へ

 

メニュー